2004年10月 翻訳 by エリック・チェッター

イチローとシスラー

ジョージ・シスラーさんの娘である81歳のフランセス・シスラー・デゥロッケルマンさんが男三人の兄弟の中だったから「野球をちょっと無視した」と明らかにした。しかし、彼女が特に誇りにしているお父さんの野球界での出来事は「紳士ジョージ」と呼ばれたことである。

デゥロッケルマンさんに、1920年に257本の記録を残したお父さんはイチローがその記録を超えたことに対して、どんな反応をするでしょうかと聞いたとき、イチローを誇りに思い「そのような人が彼の記録を破った」ことを嬉しく思っているはずだと答えた。

ジョー・ディマジオ選手の1941年の56試合連続ヒット記録がシスラー選手の1922に出した41試合連続ヒット記録を超えたことに対して、シスラーは同じように語ったし、デゥロッケルマンさんの想像した反応は間違ってはいないだろう。

金曜日の夜、セーフコ・フィールドでは、イチローが2004年の258本目をヒットした後、デゥロッケルマンさんの手を握ったとき、歴史が創られているというような「電気」が感じられた。あの手はシスラー選手の手を何回も振った手であって、シスラーの助けによって大リーグには入れたジャッキー・ロビンソンの手も触れた手であって、タイ・コッブまでも接触した手である。

コッブは「紳士タイ」と呼ばれたことはなかったが、シスラーの家族によるとコッブがシスラー選手にはひとつだけ弱点があるといっていた。それは紳士過ぎることである。シスラー選手がセカンドにスライドするときには、いつもスパイクは下向きだったそうである。

「そのような人は知らないうちに尊敬されるようになる」とコッブがいっていたことをシスラー選手の孫であるピーター・デゥロッケルマンさんが思い出した。

野球を引退して以来、スカウトになって、親友であるブランチ・リッケーさんに肉体的にも精神的にも大リーグのドジャースに入れる準備ができたとロビンソン選手を進めて、1947に大リーグの人種差別の壁を壊した。

イチローの苦しみがロビンソン選手ほどではないのは確実だが、彼もパイオニアであった。シアトルのマリナーズに入った2001年にはイチローは野手として始めての、大リーグに登場する日本人になった。肉体的に、イチローはスピードや視力やバットコントロール、動きなどの才能が驚くほどある。

精神的には?というと、それは金曜の夜(ちょうど日本の土曜の昼)、世界中知ることができただろう。

「あの時は生まれてから最も感情的になった一瞬だった」とイチローが258本目のヒットを出した後、通訳者を通して − それから、再度翻訳されて。。 − 言っていた。「確実に僕のキャリアのハイライトですし、将来どうなるかって考えるきっかけともなりました。」

野球界はイチローのうまさをまだ知らないんだと、マリナーズのバッティングコーチであるポール・モリターが言っていた。イチローにこれからもっと大きいことが起こるのでしょうと聞いたとき、「僕も自分にそれを聞きたいんだね」と当たり前のような速さで答えた。

緊張感があったかと問われたら、イチローが「毎日ある」と答えた。

記録を超えることは楽しみよりも負担ではなかったかと聞かれたら、イチローは楽しむということは野球ではどういう意味があるのだろうかとの回答をした。ゲームの後の祝いやチームメートがビールをイチローにかけたことなどは楽しいがフィールドにいる時は楽しむ余裕はないそうだ。

イチローにかかっている圧力はロビンソン選手と違って、彼の内から来ている。

「楽しむなんてどういうことなのかわかりません。よく聞くのですが、「楽しんでね」ってみんなが言ってくれるんです。でも、それは笑うことなのか冗談を言い合うということなのかよくわかりません。」とイチローが言った。

「プロとして野球をするのなら、笑うことも微笑むこともしません。大リーグならではのプレッシャーを感じて頑張りたくなるので、「楽しむ」ことは難しいと思います。ただ、全力を尽くした満足感がほしいのです。」

「楽しむ」事は期待されていない子供としてプレートを踏むことだとイチローが言った。

「でも、プロとしてプレーするとき、責任や期待されることが出てくる」とイチローが話した。「プレートを踏むことはいきなり怖いことになり、とても難しいのです。」

フランセスさんの息子であるボ・デゥロッケルマンさんは、シスラーが同じ野球選手に対して称賛する時に言ったであろう最も意味のある一言でほめた。「イチローは」とイチローとシスラー選手にしかその深い意味が理解できないように言い始めた。「野球選手のプロフェッショナルだ。」