2004年10月 翻訳 by エリック・チェッター

ケリー上院議員の「ホモを暴露する」作戦は失敗

米大統領選の結果はブッシュ・ケリーの第三ディベートによって変わらないだろうが、ホモの平等性や認識性において、とても意味のあるものになるだろう。それができたというのは、ケリー上院議員のおかげだ。

ディベートの終わりに、司会者であるボッブ・シェィファーが両候補に同性愛というのは生まれたときから決まっているかどうかをたずねた。ブッシュはわからないと答え、ケリーは決まっているといって専門家の例を挙げた。「ディック・チェイニー副大統領の同性愛者である娘に尋ねたら、自分として生きているだけだというはずだ。」

ケリー候補は生まれつきゲイだという有名人をいっぱい知っているのが確実で、マサチューセッツ州のバーネー・フランク下院議員やニュージャージー州のジム・マックグリービ州知事というようなゲイであることを公にしている人にすることができたのに、なぜか、チェイニー副大統領の娘にした。

でも、ケリー候補が副大統領の娘の例を挙げた理由は同性愛の原点を明らかにするのではなく、「知らなかったのなら教えてあげよう、米副大統領の家族にはマジのレズがいるよ」とホモ恐怖症にかかっているといわれている多くのキリスト教徒の投票者に宣言しようとした。
ケリー候補の天使のような顔にもかかわらず、これは計画的な「ゲイ・ベイティング」作戦(エドワーズも同じことをチェイニーとディベートした時に言っていた)で、共和党の宗教的投票者を投票しないよう、透明的な作戦だった。でも、それは計算違いだった。

ディベートが終わってから、「ライト」のキリスト教徒たちがメーリー・チェイニーを応援し始めた。ジェリー・ファルウエルやジェムズ・ドブソンという有名な牧師がメーリーのプライバシーの権利を守るように努力している。それに加え、コンサーバティブなラジオ番組やウエブサイトがケリー候補への非難やメーリーへの応援が殺到している。

この反応はキリスト教会内の同性愛が罪だということに対するパラダイムシフトではなく、ケリー候補の予想と逆に再生派プロテスタントにとっては信仰よりも政治的信念のほうが強いということのようだ。

ケリー候補がこれに対して驚くことが不思議だ。ケリー候補の経験に基づいても、牧師たちが妊娠中絶がつみだといくら言っていても数多くのカトリック教徒は習慣的にプロチョイスの候補者を選択する。マサチューセッツ州においてというか、全国において、カトリックのリベラルたちはカトリックとしてではなく、リベラルとして投票するのだ。

ユダヤ人もそうである。ブッシュは今までの最も強いイスラエルの味方である米大統領だというのに、アリエル・シャロンが共和党会でこれをどんな方法で伝えようとしても、アメリカのユダヤ人シオニストはケリー上院議員のほうに投票するだろう。なぜかというと、この人たちはまずリベラル民主党で政治的信念は信仰より影響を与えるに違いないからだ。

福音派キリスト教徒の保守派にしても、そうである。メーリー・チェイニーは男と結婚し、子供が5人いる方がいいし、今のチェイニーの娘は罪人だと信じているはずだが、そんなくだらないことがブッシュ・チェイニーへの投票妨害とはならないのだ。

選挙ではケリー候補はこの作戦で何の変わりもないはずだが、意味のない作戦だったということでもない。ケリー候補の宣言のおかげで、多くのコンサバティブキリスト教徒は改めて同性愛者の味方となった。これは、キリスト教徒の本当に大切に思っているモラルや優先事項を公開することになった。

メーリー・チェイニーはゲイだといっても、民主堂の一人ではなくてよかった。